先日、栗城史多さんが登山の下山中に遺体で発見されたニュースが報道されました。
多くのファンやアンチに注目される中で、残念で悲しい結果になってしまいました。
今回は栗城史多さんのご遺族について調べてみたいと思います。
父親の仕事や、経歴・障害の有無についても調べてみました。
栗城史多さんの父親の名前は敏雄さん。
栗城史多さんの死亡のニュースを受けて、父親の敏雄さんがメディアの前で、インタビューを受けている肉声動画が確認出来ました。
父・敏雄さんへのインタビューではこうコメントされています。
“自分の好きなエベレストで消えた。ありがとうございます。皆さんに助けてもらって、”バカ野郎”とは言えない。よく今まで頑張ったと思う”
栗城史多の父親・敏雄さんは眼鏡屋の経営者
栗城史多さんのご遺族で家族の父・敏雄さんのご職業は一体何をされているのか調べてみると、眼鏡屋(宝飾品)の経営者でした。
「めがねのクリキ」という北海道瀬棚郡今金町にあるお店で店舗場所もお店のサイトから判明しています。
インスタグラムも活用されているようで、時代の流れを上手く取り入れてらっしゃるようです。
メガネ、時計、ジュエリー、補聴器のことなら当店におまかせください。SS級眼鏡士認定店
店舗場所の地図はこちら▼
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父・栗城敏雄は凄い人!?眼鏡屋は副業だった・・!?
栗城史多さんの父親・敏雄さんは眼鏡屋の経営者という顔でインタビューのコメントをされてらっしゃっていましたが、
実は眼鏡屋は副業?で、更には総工費2億4千万円にもなる温泉施設のホテル経営者だったのです。
息子・栗城史多さんと同じ血を持つ父親の敏雄さんですが、息子さん同様に壮大な挑戦として、
一人で温泉を掘り始めた結果、地下1000メートルから温泉を掘り当てたんだとか。
参考文献▼
商工中金(函館支店)は、株式会社いまかね(本社:北海道瀬棚郡今金町、代表者:栗城敏雄氏)に対し、「ホテルいまかね」の建設資金の一部を融資しました。
「ホテルいまかね」は、今金町で初めての本格的なホテルで、2月2日にオープンします。総工費は約2億4,000万円。建物はバリアフリーで4階建て延べ1,092㎡。客室は36室、約60人が宿泊できます。今金町町営の温泉施設「あったからんど」に隣接しており、同施設とは渡り廊下でつながっています。「あったからんど」は、ナトリウム塩化物強塩泉で、神経痛、筋肉痛、関節炎、慢性皮膚病に効用があります。
「ホテルいまかね」を経営する株式会社いまかねは、今金町観光協会会長の栗城敏雄氏がホテルを開業するために平成18年3月に設立した会社です。「ホテルいまかね」のオープンで、これまで今金町近隣地域で宿泊、飲食していた温泉客等を確保することができるほか、今金町の特産品であるジャガイモ「今金男爵」などをホテルの食材として活用したり、ホテル内に産地直送ショップを設けることで地域経済の活性化に貢献します。
ホテルいまかねの公式サイト
http://www.hotel-imakane.com/
栗城家のDNAは発想が規格外という事ですね。
学校にも招かれて講演も行っていたようです。
実業家としての顔を持つ栗城敏雄。
◎講演要旨 「挑戦し続ける我が人生への感謝」 (株)いまかね代表 栗城 敏雄氏
氏は昭和18年生まれ。地元の町営温泉開業へのかかわり、(株)いまかねの設立、ホテルの開業などを通し、地域おこし、街づくりに深くかかわり続けている。講演はお人柄のまさしくにじみ出る内容であった。パークゴルフ、スキーなど多趣味な中から、会の後半ではハーモニカで「ふるさと」をご披露いただいた。単独無酸素登頂に挑み続ける登山家の栗城史多(ふみたか)氏はご子息である。
http://www.dochu-kochokai.jp/article/14721201.html
経営者・栗城敏雄の教え
・経営者の仕事は「部下の悩みを聞くこと」であり、成長させる特効薬は「褒めること」。
・息子の史加は登山家、前回のエベレスト登頂途中で凍傷のため手の指9本を失った。私は息子が帰って 来たとき「おめでとう」といった。指を失ったが帰ってきてくれたことにそういった。もちろん親として山へ行く息子に心配はする。でも息子ももう大人。大切なことは信じること。「自分の人生。しっかり考えて、何かあったら相談しろ」と。
・この年で自分に対してはじめて「ありがとう」と言えるようになった。今まではいえなかった。親がいるから今自分がいる。親に対しても「ありがとう」という感謝する気持ちが自然に生まれてくる。
・夫婦の仲を保つために心がけていることは4つある。一日一回は声に出して「ありがとう」を言うこと。2つ目「おいしいね」、3つ目は「愛しているよ」、4つ目は奥さんの話を真剣に聞くこと。
・私はホテルと眼鏡店を経営しているが、私の仕事は店長の仕事の悩みの聞き役で、真剣に話を聞いてあげ、「こう思うけどどうだろうか」と提案することだけ。
・昔のように人を命令で動かす時代は終わった。管理職は部下のよいところを認めて褒めてあげてほしい。人間は褒められるとうれしい。職場へ帰ったらぜひ大きな声で挨拶をし、職員のいいところを褒めてほしい。
・恋心は持ち続けていってほしい。もちろん家庭や仕事を破壊しない限りにおいてだが。ときめきは大事。いくつになっても何かに挑戦できるためには、異性関係だけではなくいろいろなことに恋心を持つことだ。
・皆さんの人生はこれから。人生は考えひとつで楽しくもなるしつらくもなる。皆さんもつらくなったら無理をせず一歩下がる、楽しくなったら一歩前へ出る、それでいいのではないか。
・70代の私は、障がいのある体でも、まだこれから新しいことに挑戦しようと思っている。
栗城敏雄さんの年齢は70代という事ですが、障害というハンデを抱えながらも、まだまだ第一線で活躍する姿は、きっと天国にいる栗城史多さんも、偉大な父の背中を見て育っていたんでしょうね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ただのメガネ屋の親父かと思いきや、ふたを開けたらこんなにも社会的に成功されている立派な父親でした。
栗城敏雄さんの影響を受けて育ってきた栗城史多さんなので、父親同様きっといいお人柄だったのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました~♪
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